2025年7月24日木曜日

T.Ohhira エンタメワールド〈3)ナイトボーイの愉楽(2)

 


                     
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「ナイトボーイの愉楽」 どんなお話?


舞台はまだチンチン電車やトロリーバスが走っていて、今 

比べて高層ビルがうんと少なくいくばくかののど

残っていた昭和37年頃の大阪

20歳になったばかりの浜田道夫は中之島のGホテルでナ 

イトボーイとして働き始めた

昼間は英語学校に通っていて、出勤するのは夜9時からだ

が、人とはあべこべの生活スタイルになかなか慣れず、最 

の頃は遅刻を繰り返しておりいつもリーダーの森下さ 

んに叱られバツとして300ぐらいある客室へ新聞配 

 ばかりやらされて腐っていたそんな道夫にこの上なく

 がときめく出来事が巡ってきたホテルへ通ってくるセ

シーな美マッサージ師の11番さんに声をかけられ

 のだ 

「お歳いくつ?、昼間は何しているの?」と。


 

〈登場人物》


浜田道夫 20歳 昼間英語学校に通いながら、夜9時か 

ら中之島のGホテルでナイトボーイとして働いている


森下さん 22歳(大学4年生) ナイトボーイのリーダ 

 しっかりしている


小山くん 19歳 道夫の1年後輩のナイトボーイ 道夫 仲良し

 

下津先輩  21歳(大学3年生) 1年先輩のナイトボー  要領いい男


マッサージ師11番さん ホテルへ通ってくるマッサージ

師、年齢は三十代後半か、人目を惹くセクシーな美人


その他

 

                                 2 


手動エレベーターを十四階で止めて、両側に客室の並んだ細くて長いフロアを進んでいき、1480号室の前で荷物を下ろした。


 「こちらがお部屋です。どうぞ」 開けたドアを左手で支えながら、二人に入室を促した。 一階のロビーからずっと無言だった新婦の方がまっすぐに正面の窓まで足を運んだところで初めて口を開いた。


 「わあ、きれいな夜景。ねえあなた、見てごらんなさい」

 その声につられて新郎のほうもレースのカーテン越しに、じっと外の景色に見入っていた。


 「きれいでしょう。ここは十四階なのです。大阪でもこれ位の高さのビルはまだ少ないのですよ。今夜のこの夜景、きっと新婚旅行のいい思い出になりますよ」

 道夫は二人をなごませようと、精一杯の笑みをたたえながらそう言った。


 夜景うっとり見とれている二人の背後から 「あのう、荷物を置く場所こちらでいいでしょうか?」と声をかけた。クロゼットの横にバゲッジスタンドがあり、荷物はたいていその上に置くものと決まっているのに、二人に注意を向けさすためにあえて聞いたのだ。


 その声に二人はやっと道夫の方を振り向いた。


 「ええっと、お部屋について一応説明させていただきます。バスルームはドア手前の右手、浴衣はクローゼットの中に入っています。ルームサービスは深夜一時までダイアル9です。

 それから明日はお早いんでしょうか? よろしかったらモーニングコールのお時間伺っておきましょうか?」 「いいえ早くないからそれはいいわ」 新婦はそう答えたが、二人がまだ何の動作も起こそうとしないので、道夫は時間を稼ぐために、他に何か言うことは無いかと考えた。


 この部屋の担当の浜田と申します。御用がありましたら、ダイアル5をまわしていつでもお呼びください」 


ただチェックインに当たっただけで部屋の担当でもなんでもないのにその場しのぎに適当なことを言った。


その後で、ようやく新婦のほうが、気がついたのか、

「ねえあなた。あれ」と小さな声で言いながら、新郎のスーツの袖口を引っ張った。

 「ああそうだったね」 一瞬考えたあと、新郎はやっと気がついたのか、そう言いながら背広のうちポケットに手を突っ込むと、「これ少ないですけど」と言って、掴んだポチ袋を道夫の方へ差し出した。 


「それはどうもすみません」と返事をしながらも、待ってたんだというそぶりを見せないように、道夫はやや間をおいてゆっくりと手を出した。

 ドアの前まで来て、先ほどよりもっと深々と頭を下げてから部屋を出た。


 フロアに戻りながら、手を胸のポケットに入れて、貰ったばかりのポチ袋の厚みをはかってみた。二本の指で挟むと、指先にふんわりとした感触が伝わり、通常よりやや厚みがあるなと思いながら速足で歩いていた。


エレベーターに乗り、ドアを閉めるとさっそく中を確かめた。 「あっ、三千円も入っている。よし。今日はさいさきいいぞ」

またそれをポケットに戻しながら、ついさっきリーダーの森下に命じられた明朝からの辛い新聞くばりのことなど、すっかり忘れてしまったかのように、明るい気分でロビーの方へと降りて行った。


 それから連続四回シングル客のチェックインをこなして、ふと時計を見ると針は十一時五分前をさしていた。


その夜、道夫には十一時からのエレベーター当番が待っていたのだ。

  エレベーターは二台あって、一台はナイトボーイ専用の手動機だが、もう一台が客をフロア―に送るためのもので、当番はそちらの方に対してであった。


 「あと五分か。ちょうどタイミングが合ったな」 九○三号室にシングルルームに外人男性客を案内して廊下に出て、貰った百円硬貨三枚を胸ポケットにしまいながら道夫はそうつぶやいた。 


一時間足らずの間に五回のチェックインに当たって、客から貰ったチップの合計が三千五百円。最初の新婚客に三千円もらった時こそ「今日はさいさきいいぞ」とほくそ笑んだものの、四人続いたシングル客のうち、一番目の中国人男性が二百円、二番目と三番目の日本人ビジネス客がノーチップ。そしてさっきのアメリカ人が三百円。 しめて三千五百円也。


 チェックインが多いのも十二時ぐらいまでであり、十一時から一時間のエレベーター当番を考えると、今日はもうこれ以上望めそうもない。 でもまあいいか。最初の新婚客のおかげで、これでも普段の倍近くあるんだから。


 道夫がそんなふうに考えながら一階に下りてくると、もう一台のエレベーターの前に一年後輩の小山君が立っており、腕時計をチラッと見てから言った。


  「浜田さん。後二分ですよ交代まで」 

「わかってるよ。ちょっと手洗いに行ってくる。交代はその後だ」


 ロビーのいちばん隅にあるトイレで用を足しながら、ふと三日前のことを思い出した。 

マッサージ師の十一番さん、今日も出勤だろうか?あの人このホテルへ来はじめてまだ三ヶ月ほどだけど、なかなか色っぽい人だなあ。歳は幾つぐらいかな。三十二〜三歳。いや、もっといっていて三十五〜六歳。まあそんなとこだろう。世帯くささが少しもないし、ひょっとして独身だろうか? 


三日前、あの人がエレベーターの中で僕の歳を聞いたんだ。少しハスキーな声で 「お年いくつなの?」と。「二十です」と答えると、「そうなの。まだお若いのね」と、僕の全身に、舐めるような目を向けながらにっこり微笑みながら言ったんだ。あの目つき、なんともいえない色気があったなあ。今夜もエレベーターの中で会えるといいんだけどなあ。


 道夫はそんなことを考えて、少しにやつきながら洗面台の前に立って、曲がった蝶ネクタイを直すと、またロビーへと出て行った。


つづく


次回 7月31日