名作を読み直してみた(1)・「破戒」島崎藤村
何度も映画化やテレビドラマ化されたこの小説の価値がわかる
名作と呼ばれる小説は映画化やテレビドラマ化されるケースが多いのですが、それも1回だけでなく、2度3度と何度も回数を重ねている作品があります。その作品の一つが「破戒」です。
破戒は下のように、2回の映画化に始まり、その後3回のテレビドラマ化を含め実に5回以上映像化されています。
それほど「破戒」はストーリー展開の優れた小説として魅力ある(おもしろい)作品なのです。
部落民であることを隠し教師を続ける主人公 丑松の苦悶
この小説は主人公丑松が、エタ(部落民)であることを隠して人々の中で生活していく上での苦痛との闘いがテーマになっています。
とはいえ、この小説の魅力は、決してこのテーマだけにあるのでははなく、日本近代文学の名作と呼ばれるだけあって、小説としての完成度が高く、ストーリー展開が巧みで、物語として読み手を満足させる要素をじゅうぶん備えているからです。
言い換えれば、文芸作品として構成力が非常に優れており、読んでおもしろいからです。それは決してテーマだけに魅力があるのではなく、ストーリーテラーとしての藤村の卓越した才能に惹かれるのです。
詩人である藤村らしく情景描写が巧みで、中でも印象的なシーンは、屠殺場に従事するエタたちの一般の人とは異なる?風貌(醜さ)が良く描き出されているところや、風間敬之進の家での籾で取引される珍しい年貢の納付風景などです。
あらすじ
明治後期、主人公瀬川丑松(せがわうしまつ)は信州小諸城下の被差別部落に生まれたが、父から「その生い立ちと身分を隠して生きよ」厳命された。その後父より戒めを守り通して成人し、小学校教員となるが、同じように部落民として生まれた解放運動家の猪子蓮太郎を慕うようになる。
父からの戒めを忘れたわけではないが、この猪子にならば自らの出生を打ち明けてもいいと思い、時には口まで出そうになることもあったが、決断がつかず、その思いは揺れ動き、いたずらに日々は過ぎていく。
しかし隠し続けた秘密もとうとう学校で被差別部落出身であるとの噂が流れはじめた。時を同じくして猪子が暴漢の手によって壮絶な死を遂げる。
その衝撃に耐えられなかったからか、あるいは同僚などによる噂に負けたのか、丑松は絶体絶命の立場に追いやられ、遂に父の戒めを破って、自分がエタであるという素性をカミングアウトしてしまう。
そして密かに思いを寄せている先輩教師敬之進の娘お志保にも打ち明けたあと、丑松はアメリカのテキサスへと旅立った。
名作を読み直してみた(2)・ 田舎教師 田山花袋
文庫版(新潮文庫)は106刷りにも達する超ロングベストセラー
一見自伝風の作品だが、そうではない。花袋には生涯教師の経験はない。
「蒲団」と並ぶ代表作だが、古い作品にもかかわらず現在でも根強い人気を続けている。その証拠に左の写真にある新潮文庫は平成30年の発行まで実に110刷りを数えており大ベストセラーにも匹敵する発行部数を誇っている。
110刷がいかにすごいかといえば、たとえば夏目漱石の「こころ」や「草枕」などと比較しても、決してないことからもよくわかる。
もっとも太宰治の「人間失格」のように206刷りという恐るべき超ロングベストセラー作品もあるのだが。
田舎教師はなぜこれほど長い間人気が続くのか
・文章とストーリーがわかりやすい
古い本を読むのに悩まされることのひとつは仮名遣いと意味不明の古い用語が多いことです。今の新仮名づかいでなく、読みづらい旧仮名づかいになっている上に、今では使われていない古い用語が出てくることもあります。
確かにのこの作品にもそうした箇所は少なくありません。でもそうした箇所にはほとんどルビが振られていますから読めないことはありません。
そんな難点は多少あっても、文章が回りくどくなく非常に素直な読みやすい表現で書かれいるためスラスラ読み続けていけます。
またストーリーが時系列に順序だてて展開しているため、わかりやすく、途中でこんがらがり、立ち止まって整理しなければならないようなことはありません。
読んでいる最中に「なんとわかりやすい小説なんだろう」と何度も思ったぐらいです。
・卓越した背景(情景)描写と心象描写
一般的に小説は、背景描写、心象(心理)描写、会話文でなりなっています。その比率は均等ではなく作品によって異なりますが、概して下手な小説ほど会話文の比率が多く、小説で大切な要素である背景や心象描写がうんと少なくなっているようです。
それは会話文に比べて書くのが難しいからです。会話文はともかく、背景や心象の描写こそが作家に力量が問われる大切な要素なのです。
この作品は会話文は極端に少なく、その反対に背景、心象の描写が非常に多くなっています。だからといって決して読みづらくはなく、作者の卓越した表現力(文章力)はこの作品の価値をうんと高めています。
・登場人物が多彩で魅力的
主人公(林清三)の魅力を語るには、登場人物を挙げないわけには行きません。なぜならこれが多彩で多いほど、主人公の人間性が良くわかるからです。
彼を取り巻く人物は学生時代の友人を初めとして男女とも非常に多くいます。とりまく友人が多いということは彼が人として魅力があるからであり、それが人をひきつけるのです。これが登場人物を多彩にし、この小説の大きな魅力になっています。
・文学のかおりが高い
小説などの文芸作品を読んでいると、よく文学とは何か、という命題に突き当たります。特に純文学と称される作品を読む際によくあることです。何を言おうとするのかが不明で内容にさっぱり興味がわかないため、小説(文学)というもの意味がわからなくなってしまうのです。
その点この作品は違います。薫り高い瑞々しい文章が散りばめられており、味わい深い文学のかおりが、初めから終わりまでいたるところに立ち込めているからです。
”これぞ文学 ”という思いを強く感じさせる作品です。
田舎教師 あらすじ
主人公林清三は、埼玉・三田ヶ谷村の小学校教師。中学卒業までは青雲の志に燃えていたものの、家庭の事情もあって卒業後は薄給(月給11円)の地方の教師になるしかなかった。田舎の地味な教師生活の中、時には東京から下宿先の寺に学生時代の親友らがやって来て、酒に酔いにまかせて文学談義を闘わしたり、また一高に行った友人から葉書を羨望をこめて読んだりしながら日々を送っていた。そうした中で教師仲間で通った田舎の小さな料理屋で酒の味もおぼえた。夏休みがやってくると密かに思いを寄せていた熊谷に住む親友の妹が学校から帰ってきたのを訪ねてその美貌に恋心を募らす。そうした焦燥と寂しさを癒やそうと利根川べりの妓楼に女を求めに行くようになり生活は乱れる。やっと堕落から逃れて、何とか気を取り直すと、かねてより学校の授業の合間に勉学を重ねてきた音楽の試験を受けに東京へ行くが、あえなく失敗に終わり借金はますます増えていった、その後健康も次第に悪化して、病魔は日に日に体を犯していった。ついに学校休み、実家で養生を続けたが、くしくも日露戦争での遼陽半島占領で賑わう提灯行列の日に貧困のなか寂しく死んでいく。
名作を読み直してみた(3) ・ 「雁」 森鴎外
明治の文豪 森鴎外の代表作の一つである。
明治時代の作家としては鴎外より10年ぐらい後に出て、自然主義を標榜した島崎藤村や田山花袋などに比べると作風はかなり異なる。
この作品も途中までは叙情的な文章で、お玉、末造、岡田などの登場人物が魅力的に描かれているが一転して最後の方になって唐突に「サバの味噌煮」の夕食、「池の雁を殺して」食べるなどという脈略の乏しい場面が出現し読者を惑わしたりする。
もしかして鴎外はこの作品で一種の実験(小説)を試みたのであろうか。
あらすじ
誰からも美貌を認められたお玉だが、高利貸という職業がら世間から疎んじられる末造の妾になってしまう。
そんな自分の身を卑下しながら、いつも散歩で家の前を通る大学生岡田に密かに思いを寄せる。
ある日、末造が出張で遠出するのを幸いに、岡田に逢って切ない心の内を打ち明ける決意を固める。
ところが、その日岡田は一人ではなく、この小説の語り手である僕と一緒に散歩に出たため、お玉は話しかけることができなかった。
そもそも岡田が語り手と二人で散歩に出るはめになったのは、語り手の夕食に出たサバの味噌煮が原因である。
語り手はサバの味噌煮が苦手で、それに手を付けることなく、隣部屋にいた岡田を外出に誘ったのである。
その外出で池の傍にやってきて、池で遊ぶ雁に石を投げつけて殺してしまう。それを下宿に持って帰り料理して食べる。
一方、お玉に逢っても話も出来なかった岡田は、まもなく留学でドイツに旅立つ決心を固めている。
けっきょく岡田とお玉は親密な会話を交わすことことなく終わってしまう。
語り手の夕食に出てきた味噌煮がきっかけで岡田とお玉が別離し、おまけに雁を殺して食べるという奇妙な結末で終わっている。
名作を読み直してみた(4)・人間失格 太宰治
空前絶後 驚異の超ロング大ベストセラー
一般的に本は100万部売れたら大ベストセラーと呼ばれます。
ところがです。この人間失格はこれまでに文庫版だけでもその7倍に当たる700万部近くを売りつくしているのです。
そうなのです。太宰治の「人間失格」は夏目漱石の「心」と並ぶ、日本文学史上空前絶後の超ベストセラー作品なのです。
手記という形をとった自伝的作品
人間失格は自伝的な私小説とみなされていますが、その形式は手記という形をとっており、構成は5段になっています。
最初は「はしがき」に始まり、その後 第一の手記、第二の手記、第三の手記と続き、最後の「あとがき」で終わっています。
手記とされているのは第一から第三までの手記の部分です。
あらすじ(内容)
(第一の手記)
[恥の多い生涯を送って来ました」という文章で始まります。自分の感覚は人とはまったく異なっており、いつも混乱していて発狂してもおかしくない。こんな状態ゆえに、人とはまともに会話を交わすことが出来ず、そのエクスキューズとしていつしか道化役を演じてしまう。
(第二の手記)
中学時代に自らの数少ない技術である「道化」を危うく見抜かれそうになり恐れおののく。その後進んだ旧制高校で堀木という悪友に出会い酒と煙草、それに淫売婦と左翼思想に染まっていく。
(第三の手記)
ある罪に問われて旧制高校を放校となり、引受人の男の家に逗留するが、男といさかいを起こし家出してしまう。それが酒と女に溺れるきっかけになり、やがて破壊的な女性関係にはまり、絶望の淵に立たされる。
ウィキペディア参照
自殺直前の精神的混沌状態にあり カオス感がにじみ出ている
太宰治の作品は純文学系にしては文章が比較的読みやすいのが特徴で、それが人気の理由の一つになっているとも言えます。代表作の「斜陽」「走れメロス」などを見てもそれがはっきりわかります。
しかし、「人間失格」に限っては決してそうは言えず、支離滅裂とまではいきませんが、理解困難な語句や文章が多く、しかもまるで夢でも見ているように脈略が乏しいシーンが次々展開し、読者には納得し難い場面が少なくないのです。
なぜこうなのか、と考えてみますと、これを書いたのは玉川上水での自殺のわずか1ヶ月前で、結核という病気による身体の衰えも相まって精神的には非常に混沌としていた時期であり、内面的にカオス状態にあったのではないかと推測されます。
人間失格におけるこのような文章や展開の乱れにについては、数ある書評ではほとんど取り上げられていないのは不思議です。太宰治に対する大作家(神様的)崇拝が強すぎて、悪い点には目を向けないようにしているかもしれません。
女性にモテた自慢話がたびたび出てくるが
太宰治が女性によくモテたということは、ファンならずとも誰もが認める有名な話です。しかし当人がそれについて自慢するようなことは、これまでの作品ではあまり見られませんでした。
でも自伝風の手記だからかもしれませんが、この作品では著者である本人自らが女性に持てた話(女性に貢がせた話)をたびたび書いているはいったいどうしたことなのでしょう。
人は他人の自慢話はあまり聴きたくないものです。読者のそうした心理はよく知っているはずの太宰が、あえてそれについて自慢気に書いたのは、おそらく精神耗弱のせいで理性を失っていたからに違いありません。
良家のお坊ちゃんなのにお金に苦労した話が意外に多い
太宰治は父親が政治家という、知る人ぞ知る名家のお坊ちゃんです。したがってお金の心配など無用というふうに読者は思ってきました。
しかしこの作品にはお金の話がよく出てきます。それもキンケツでお金に苦労した話が多いのです。
もちろん実家からの送金が途絶えたからではありません。一定の金額で仕送りは続いていたのですが、キンケツになったのは酒と女での桁外れの浪費が原因です。
それが日に日に激しくなりお金がいくらあっても足らなかったのです。そうなったのも自殺を考えるほどの精神荒廃のせいに違いありません。
死ぬ前だから懺悔のつもりですべてを暴露したのか
女性のもてる話やお金に苦労した話など、この作品には他の太宰作品ではあまり触れなかったような話がよく出てきます。
これはおそらく自殺したいような精神の錯乱状態にあって自制心がきかなくなったのと、それに懺悔の気持ちが加わって、これまで言えなかったことを吐露してしまったのではないでしょうか。
この作品での、たまたま偶然に見つけた睡眠薬を大量に飲んで自殺を図ることでも分かるように、日常生活そのものが生と決別する行動をいつ起こしてもおかしくないような錯乱した精神状態であったに違いありません。
世界で活躍する写真家であり映画監督の蜷川実花が、構想に7年を費やし、天才作家・太宰治のスキャンダラスな恋と人生を大胆に映画化!
主人公の太宰治を演じるのは、『ゴジラVSコング(邦題未定、原題GODZILLA VS. KONG)』でハリウッド進出も果たす小栗旬。蜷川監督と初タッグを組み、大幅な減量も敢行しながら、究極のダメ男でモテ男、才気と色気にあふれた最高にセクシーでチャーミングな、かつてない太宰像を創りあげた。
太宰の正妻・美知子に宮沢りえ。作家志望の愛人・静子に沢尻エリカ。最後の女・富栄に二階堂ふみ。それぞれの世代を代表する女優たちが、一見太宰に振り回されているように見えて実は自分の意志で力強く生きている女性たちを、圧巻の演技力で魅せる。太宰と女たちを取り巻く男性陣にも、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史、高良健吾、藤原竜也と超豪華キャストが集結。
太宰が死の直前に完成させた「人間失格」は、累計1200万部以上を売り上げ歴代ベストセラーのトップを争う、“世界で最も売れている日本の小説”。その小説よりもドラマチックだった<誕生秘話>を初映画化。蜷川組常連のスタッフに加え、脚本に『紙の月』の早船歌江子、撮影に『万引き家族』の近藤龍人、音楽には世界的巨匠・三宅純を迎え、日本映画界最高峰のチームが集結。ゴージャスでロマンティックな唯一無二の蜷川実花の世界観をさらに大きく進化させた。