2011年9月20日火曜日

野田新政権に対して、いま国民が黙っている三つのわけ


言うまでもないが、野田新総理は決して国民に望まれて誕生したわけではない。

言わば、なにか小沢騒動のドサクサに紛れて、気がついてみると超穴馬であった野田氏が選ばれていた。

国民はまるで”狐にでも騙された”ような気分であるに違いない。

事前の予想に大きく反して、あれよ、あれよと言う間に野田氏に決まった民主党代表選だが、いずれにしても立候補していた5人があんまりパッとしないのは、ずばり「総理にふさわしい顔じゃないから」だと巷では噂されている。

世界に向かって堂々と威厳をアピールした、あのオバマ大統領と彼らの違いはいったいどこにあるのであろうか。

さしずめ"月とすっぽん"とでも言えばいいのか、まざまざと格の違いを見せつけられているようである。

まさに国民にとっては非常に不本意な形でで新首相が選ばれてしまったのだが、意外にも今のところ大きなブーイングは起こっていない。

でも決して国民が認めたわけではなく、沈黙しているのは以下のような理由からではないだろうか。



・"またしても"と言う気持ちで、もうあきれ返ってしまっている。

これまで6名もの首相が短期間に連続して交代しているので、今度こそと大きな期待を寄せていたのだが、またしても大きく裏切られてしまい、もうあきれてモノも言えない、というような状態に国民が陥っている。


・失望の念があまりにも深く、反発する気力が出ない

またしても、と言う大きな失望感で気力もうせてしまい、もうどうでもいいという無力感から、国民が開き直ってしまっている。


・次の首相を待つ忍耐力は最早なく「もう黙認してあきらめるしかない」という気持ちになっている。

これまで散々辛抱を重ねてきており、国民には、もうこれ以上次を期待したり、待ったりする忍耐力は残っていないのである。

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