2010年12月28日火曜日

亡き母へおくる花束とメッセージ


お母さん、美奈子姉さんから連絡が入ったのは仕事から帰った直後の12月27日夜8時ごろでした。

「お母さんがついさっき息を引きとった」と。

お母さんにはつい四日前に会ったばかりでしたね。

でもあの時はもう言葉も喋れず、食事も出来ず、お医者さんも「もう長くはなく今日明日が山場でしょう」と言われていました。

でもあれから四日間も生きるために「最後の頑張り」を見せたのですね。

そして今夜精魂尽きてついに息を引きとり、永眠という安息の地へと向かったのですね。

つい二ヶ月前には「白寿の会」で20人以上の親族に囲まれて、にこやかに微笑みながら皆に向かってはっきりと話しかけていたお母さん。

でもあれが貴女の最後の晴れ舞台だったのですね。

写真に写っているあのときのポーズと笑顔はとても99歳とは思えないような、まさに一世一代の名演技と言ってもいい実にすばらしいものでした。

お母さん、貴女は生涯を通して自分に正直に生きた人でしたね。

他人に媚びず、おもねず、自己の信ずることをはっきり主張した人でした。

明治生まれの女性らしく気骨のある筋の一本通った人でした。

はっきり言って結婚運は良いとは言えず、経済的にも恵まれない人生でした。

でもその不遇を嘆くことなく強く生きてこれたのはあなたが持ち合わせた輝くばかりの「知性」です。

そのことはきょうだい全員がよく知っています。

お母さんは活字をこよなく愛し、読書が好きでした。

それに新聞には毎日くまなく目を通し、これはと思った記事は全部切り取って収集し、折を見ては子供たちに送ってくれましたね。

その切り抜き記事ことごとくは僕たちに勇気と強い感銘を与えてくれました。

お母さん、僕はあなたから貰った「つれづれの記」という2冊のノートを持っています。

このノートは、より「知的」に生きようと努力してきた言わば貴女の「知性の凝縮」です。

僕はこれを本にするつもりです。

そして親族に配布して、「知的」に生きてきた貴女の証として末永く残すつもりです。

お母さん、貴女の大切にしてきたものは、できたらこの僕が引き継いでこれからも大切に育んでいきたいと思っています。

ですから「やり残したこと」があるなどとは思わず、どうか安心して安らかに眠ってください。

最後になりましたが、貴女に「花束」と大好きだった「渡辺淳一」の本をおくります。

                                         生前は至らなかったあなたの息子「庸夫」より

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